うさろぐ日記

”アフリカ、旅、貧困” 人生を哲学するブログ

日本の戦後復興と開発援助アプローチ

日本を見習えば、アフリカも発展できるのか?

2009年版のODA白書によれば、「第二次大戦後、日本は、米国や世界銀行からの支援を受けつつ、自らの努力により経済復興と安定に取り組んできた。」と記されている。

だから、アジア、アフリカ諸国も日本の経験から学び、僕らのように発展しなさい、という文脈に読み取れる。ここで、この表題に関してさらに掘り下げて考えてみたい。

 

日本が戦後発展したのは事実

たしかに、現在の日本の経済状況を考えると、日本の経済発展の歴史は正しかったのか?これまでの、日本の政策を否定し消費至上主義(消費が増えることで経済が循環していく一方、環境負荷やその他多くの社会問題を生み出している)に対して是非を問うのは、今回の主題ではない。それは、またの機会に。

 

日本は1953年から1967年の間に世界銀行から30件以上の融資を受け、東海道新幹線や東名高速道路、黒部第四ダムなどのインフラストラクチャーを建設し、公共投資の増加により経済効率化および経済循環を加速させ、急速に発展していった。また、債務を受け入れたことで、返済するために懸命に働いたことにより1990年には世銀へすべての債務の返済を終えている。

 

アジア、アフリカの低迷はインフラが未整備であることが大きな要因であるから、戦後日本が発展したようにインフラ投資により経済発展に寄与すべきだという政策のもと、途上国への資金援助が1980年から90年の間に積極的に行われてきた。1980年代後半には世界一の援助国となっている。1988年の日本のODAの約半分が経済インフラ整備のプロジェクトであり、特に交通と通信分野に費やされていた。他国の援助のインフラ整備への投資割合が全体の2割程度であったことからも、日本がインフラ投資に積極的になっていたことがわかる。

 

戦後復興を推し進めた発展の背景

戦後の日本と現在のアフリカ、アジアの発展途上国を比べて大きく異なる点がいくつかある。明治時代(19世紀後半)から日本は欧米に追いつくために、国内の整備を行い、戦後も世銀から資金を得るなどして、自助努力により経済復興を成し遂げてきた背景がある。第二次大戦後はインフラも壊滅的なダメージを受け、まさに「ゼロからのスタート」であり、アフリカの現状と同じような環境にあったと受け取ることもできそうだ。

果てしてそうなのだろうか?

第二次大戦前に日本はすでに国際舞台において大国の一つに数えられ、欧米列強に追いつけ、追い越せという状態であり、当時の識字率は国際レベルでも高っかった。

一方、欧米列強に植民地支配されていたアジア、アフリカ諸国は天然資源や農業により経済を支えており、工業化とは程遠い状態から独立を果たしたため、政治的・経済的な基盤はほとんどなかった状態であった国が多い。また、独裁政権や軍事政権など、政治的基盤も整備されていなかった。

 

主権の二重構造

すこし、込み入った話になるので難しいと感じた人は読み飛ばしていただいて構わないが、そもそも国際社会における「主権」に統一の定義はない点の説明を加える必要がある。

欧米列強や日本は「正主権国家」(full sovereign state)または「積極的主権」と呼ばれる一方、1960年代の脱植民地化により独立を果たしたアジア・アフリカ諸国は、独立とともに自動的に主権国家を確立したことなり、これを「消極的主権」と呼び、「準主権国家」と呼ぶ。

どちらも、表向きは同様の「主権国家」であるが、欧米列強が鉄筋コンクリートで作った家だとすれば、準主権国家はレンガ造りの家である。同じ「家」であることに変わりはない。当然、その中身の法整備や組織づくり等まで作りこまれた家具付きの鉄筋コンクリートの家とレンガ造りで中身は空っぽの家だと、すれば理解しやすいのではないだろうか。

 

では、日本はどのように主権を獲得していったのだろうか?1868年に鎖国政策に終止符を打った日本は、明治政府のもとで主権国家として欧米諸国に認められることを対外政策の最大の目標として努力し、国民を統一し、憲法や法律の制定によって司法国家としての基盤の制定、中央主権システムを整備し、国民に対してのみならず対外的にも責任を負う政府を作り上げてきた。20世紀の初めまでに徳川時代の不平等条約の撤廃を実現し、国際政治上対等な主権国家として認証され、晴れて国際社会のメンバーとなった。この主権獲得のために、治外法権や関税自主権の撤廃など、主権承認まで多大の努力を払い、開国以来30年の年月を要したのである。

 

それでも、アフリカ・アジアは戦後の日本を見習えば成長するのか?

ここまで読んでいただければ、日本が戦後復興をインフラ投資を強化したことで発展してきたので、アフリカ・アジアのみなさん、日本のようにインフラを強化して一生懸命働いたら発展できますよ、という話にならないのは明らかである。日本の戦後の焼け野原をイメージするとまさにゼロから作り上げられたような感覚に陥ってしまうが、その背景を考えると”同じ状況”と言えないことは誰にでもわかる。

私もアフリカの友人と話していて、日本人は寝る間も惜しんで働いてきたが、アフリカ人は怠けているから発展しない。日本で3日でできることがここでは3か月かかると、怒りをぶちまけたことがある。その時に言われたのは、日本は第二次世界大戦をするために戦闘機を作るだけの産業があったが、アフリカにはない。今でも、戦闘機を作る技術力はないといわれた。そう考えると、今のアフリカの産業レベルというのは当時の日本以下である国もまだまだ多く存在している。

一方、携帯電話の普及など、新たな技術革新が急速に行われている昨今、今一度開発途上国の援助について向き合う必要があるのではないだろうか。