みんな豊かになることってできるの?
前回は、開発援助の必要性と途上国も日本のように発展したいと願っているということについて説明してきた。今回は、援助を続ければ発展途上国もいずれ先進国のようになることができるのか?を考えていきたい。
人類の進歩とは、「快」=「ハッピー」の増大であるということを、これまで見てきた。一般的にはこれを、「近代化」するという。
近代化はいいことばかりじゃない。
日本人は、途上国の人に対して
「生活が便利になることは大切だが、必ずしも近代化を目指さなくてもよいのではないか?」と言う。
「近代化によってモノがあふれても、心は貧しくなった」と。
しかし、それは現在豊かな国に暮らしている日本人だから言える言葉であって、近代化の恩恵を受けていない途上国の国の人がそれで納得できるわけがない。
イギリスの産業革命により近代化が進み、日本も追いつけ追い越せとばかりに、近代化路線を歩んできた。その背景には、工業排水による公害や都市に出稼ぎにいくことから起こる核家族化、また人が都市にあつまることで発生する都市化によるストレス等、多くの問題を同時に引き起こしてきた事実に目をつぶってはいけない。
しかし、
アフリカの村の子供たちが、テレビで見てあこがれるのは、アメリカや日本の洗練された町であり、テレビで見るようないい車に乗りたいという思いを、近代化の負の側面から理解させることなんて出来っこない。
開発援助ですべきことは?
では、開発援助ですべきことはなんだろうか?西欧諸国や日本の近代化技術をそのまま移植するのではなく、各国の土着技術や発展段階に合わせて技術移転することころやるべきことである。
公害を出さないよう、いかに国を発展させていけるのか?これこそ、これまで近代化を経験し、知識や研究によって積み重ねてきた先進国のすべきことである。
一方、すべての途上国の人が先進国と同じような生活を始めたら、石油資源の枯渇やCO2排出量の増大によって、地球温暖化が進行してしまい、地球が耐えられなくなってしまうという意見もある。
そのためにも、風力発電などの科学技術の進歩や農業技術革新による食料生産性の向上が先進国に課さられた課題でもあるといってもよい。現在、発展途上にある国が発展するには、まだ時間があるといってよく、科学技術の進歩スピードから考えれば、十分可能である。