うさろぐ日記

”アフリカ、旅、貧困” 人生を哲学するブログ

コンマの誤用について

今日はコンマの誤用について説明しますね。

1、独立した二つの分をつなぐ

Jim usually gets on with everybody, he is an understandign person.

このような場合はコンマで文をつなぐことは出来ません。

では、どうしたらよいのか一緒に見ていきましょう。

 

一番簡単な方法はピリオドで文を区切ってしまうことです。

Jim usually gets on with everybody. He is an understanding person.

でも、アカデミックな記述ではこのような短い文で表現するのは適切ではありません。

2、セミコロンで文章を接続する

Jim usually gets on with everybody; He is an understanding person.

 

このように、文章が独立してなりたっている際はセミコロンを用いて接続することが可能です。

 

3、接続詞を用いる

Jim usually gets on with everybody because he is an understanding person.

 Jim usually gets on with everybody, as he is an understanding person.

 because で接続する際はコンマを使わないように注意してください。

アカデミックライティングではいかに、センテンスを膨らませて長く書く能力が求められます。

コンマやセミコロンを効率的にしようして、かっこいい文章を書けるように練習しましょう。

 

 

【英語文法】コンマの使い方

 コンマの使いかた

1、列挙して記述する

The potion included gobstoppers, Chewing gum, bran flakes and coleslaw.

*andの前にコンマを置くかどうかは議論が分かれるところであるが、下記のようにandの後の単語がandで繋がる一つのセンテンスを構成する場合はコンマを用いる

His favourite puddings were ice apple pie, rhubarb crumble, and jelly and ice.

2、接続詞の前

She was a fantasic cook, but she would never be as good as her mother-in-law.

He hated his neighbours, so he never invited them round.

3、Becauseの前は通常コンマを使わない

We all had to move to higher ground because the flood waters were rising quickly.

She really did't feel hungry because she had already eaten a hearty lunch.

* becauseの前にコンマを使うこともある

I knew she would not be hungry, because my sister works in a restaurant and had seen her eating a huge meal earlier in the day.

この場合、not be hungry とsister's working in a restaurantは直接関係がないので、コンマで区切ってわかりやすく表現している

4、イントロダクションが長い場合に使用

Given the appalling weather conditions, Michael was lucky to survive the storm.

As the night drew to a close, the clubbers wandered home.

5、短い場合は使用しなくてもよい

Shortly we will be leaving for the port.

After his nap Sam felt a lot better.

6、説明文を入れるとき

コンマで挿入された分を除いても意味が変わらない

Sarah, the most intelligent pupil in the class, was always late for school

The pyramids, one of the wonders of the ancient world, lie just outside Cairo.

*もし、説明文の意味が簡単に主語との関係を説明できるならコンマはいらない

His wife Jill was a high flyer in the city.

Jill, his wife, was a high flyer in the city.

7、文の前後で反対のことを表現するとき

He was first attracted by her money, not her stunning looks.

She is intelligent, not pretty.

He though the building was enormous, but ugly.

8、年、月、町、国の前

His home was in Streatham, East London.

My father was born on March 13, 1949.

9、いくつかの形容詞を分けるとき

The old, ramshackle, dilapidated house had a charm of its own.

That rater dull-looking, badly-dressed, clumsy man is actually a university professor.

 次回はコンマの誤用について説明します。

イギリス生活 3週目

イギリス生活3週間を振り返って

イギリスへ渡航して3週間が経過したので、備忘録として日記を書きておく。
現在は、Pre-sessional コースという本コース開始前の英語の授業を履修している。

授業は

1時限目 9時15分~10時45分 リーディング&ライティング

2時限目 11時15分~12時45分 リスニング&スピーキング

3時限目 14時~15時半 論文ライティング

 

と、1コース90分の3時限校正となっている。

1クラス15名程度の構成で、ほとんどが中国人。

このコースはIELTSのスコアーが基準点に満たしていない人に向けた特別コースで、点数がとれているひとは履修しる必要がない。

それでも、自分のように点数はクリアしているが早く来てイギリスに慣れるために参加している人も中に入る。

注:IELSTとは、ブリティッシュカウンシルが主催している英語能力判断試験で日本での知名度は低いが、アメリカのTOEFLと並んで国際的に認められた資格であるといってよい。JICAではTOEICや英検の他に、IELTSやTOEFLのスコアも認めてくれる。

 

コースでは、毎週600時程度のエッセイ提出や、クラスメイト同士でのPeer reviewなど、一人では出来ないことが可能となるため参加してよかったとは思っている。

一方、スピーキングは普段から使っていたので、ある程度話せる自分としては、今のクラスのレベルは少し低すぎると最初から思っていたので、スーパーバイザーに相談して変えてもらうことにした。

明日から、どんなクラスになるのだろうか楽しみだな。

 

 

 

みんな豊かになることってできるの?

前回は、開発援助の必要性と途上国も日本のように発展したいと願っているということについて説明してきた。今回は、援助を続ければ発展途上国もいずれ先進国のようになることができるのか?を考えていきたい。

 

人類の進歩とは、「快」=「ハッピー」の増大であるということを、これまで見てきた。一般的にはこれを、「近代化」するという。

 

近代化はいいことばかりじゃない。

日本人は、途上国の人に対して

「生活が便利になることは大切だが、必ずしも近代化を目指さなくてもよいのではないか?」と言う。

「近代化によってモノがあふれても、心は貧しくなった」と。

 

しかし、それは現在豊かな国に暮らしている日本人だから言える言葉であって、近代化の恩恵を受けていない途上国の国の人がそれで納得できるわけがない。

 

イギリスの産業革命により近代化が進み、日本も追いつけ追い越せとばかりに、近代化路線を歩んできた。その背景には、工業排水による公害や都市に出稼ぎにいくことから起こる核家族化、また人が都市にあつまることで発生する都市化によるストレス等、多くの問題を同時に引き起こしてきた事実に目をつぶってはいけない。

 

しかし、

アフリカの村の子供たちが、テレビで見てあこがれるのは、アメリカや日本の洗練された町であり、テレビで見るようないい車に乗りたいという思いを、近代化の負の側面から理解させることなんて出来っこない。

 

 

開発援助ですべきことは?

では、開発援助ですべきことはなんだろうか?西欧諸国や日本の近代化技術をそのまま移植するのではなく、各国の土着技術や発展段階に合わせて技術移転することころやるべきことである。

 

公害を出さないよう、いかに国を発展させていけるのか?これこそ、これまで近代化を経験し、知識や研究によって積み重ねてきた先進国のすべきことである。

 

一方、すべての途上国の人が先進国と同じような生活を始めたら、石油資源の枯渇やCO2排出量の増大によって、地球温暖化が進行してしまい、地球が耐えられなくなってしまうという意見もある。

 

そのためにも、風力発電などの科学技術の進歩や農業技術革新による食料生産性の向上が先進国に課さられた課題でもあるといってもよい。現在、発展途上にある国が発展するには、まだ時間があるといってよく、科学技術の進歩スピードから考えれば、十分可能である。

アフリカ諸国の発展とは、日本のようになればよいのか?

そもそも発展するってどういうこと?

少々乱暴ではあるが、ここでは「発展=便利になる」ということで話を進めていきたい。ある学者は、人類の進歩の一貫した方向性は「もっと多く、もっと早く、もっと楽に」を、追い求めることであるとしている。つまり、個人の「快」の増大が「進歩」するということであると。

 

進歩=発展であると定義している。ここではわかりやすく、「快」=「ハッピー」としよう。幸せが増えることこそ、すなわち人類の進歩である。

*快とかハッピーというのは、個人の感覚的なものであり統一的指標はない。ここでは、一般論としてハッピーという言葉を使っていることに留意されたい。

 

日本でも、高度経済成長期によく聞かれた言葉に「三種の神器」という言葉がある。30代以上の方は聞きなれた言葉だと思うが10代、20代の人はなんだそれと思われるかもしれない。

 

三種の神器とは、テレビ、冷蔵庫、掃除機の3つの電化製品のことを指している。社会全体として、みんなが持っているテレビがほしい。洗濯機がほしい。それを買うために、みながむしゃらに働いていた時期である。

これも、まさに便利になることを求めた結果であったといえる。

 

テレビの購入は、楽に娯楽を手に入れること。休日に家族を外に連れていく必要がなくなった。

 

洗濯機がない時代は毎日、冷たい水で手洗いをしていた。

 

掃除機がなければ、バケツと雑巾で掃除しなければならなかった。

 

今では、当たり前の電化製品も、当時の社会としては革命的発明であった。

 

さて、アフリカの国々でこれらの家電は普及しているのだろうか?都会での普及は進んでいるが、田舎へ行けばまだ電気がない家庭が大半を占めているため、まったく普及していないといってもよい。

 

しいて言うなら、テレビの普及は進んできているといえる。田舎の村でも、村に一人はソーラーパネルを持っていて、みなが集まってテレビを見ている光景というのは珍しくなくなってきている。

 

日本も財政的に大変なのに、なんで途上国に援助しなければいけないの?

みなさん、人力車ってご存知だろうか?

日本でも、観光地へ行くと人力車を引いている人を見ることができると思う。

日よけもついていて、座っているだけで楽に移動できるという意味では「ハッピー」の増大である。

 

が、人力車を引いている人にとっては、重い人を乗せて運ばなければいけないから「ハッピー」の増大とはなっていない。

 

しかし、仕事として人力車を引いているので、お金という対価をもらうことができので、最終的には「ハッピー」の増大になっているといえる。

 

 

だったら車に乗ればいいじゃん、と思われた方、するどい意見ですね。

 

車だったら運転している人は、エアコンも効いてて楽に移動できるから「ハッピー」の増大といえる。では、車は重たい人を乗せているから「ハッピー」ではないのかというと、そんなことはない。じゃー車最強、という結論はちょっと早い。

 

車を動かしたときにでるのは排気ガス。この排気ガスにより大気汚染が生じ、健康を害する人がでるのであれば、それは「ハッピー」なことではないといえる。

さらに、

自動車を作るためには、鉄、プラスチック、ゴムなどの資源が必要となり、多くの資源は途上国で産出されている。

この際、劣悪な労働環境で働かされていたり経済的な搾取をうけている場合がたぶんにあるとされる。

 

つまり、先進国が得ている「ハッピー」の増大の分の対価として経済援助が必要であるともいえる。

 

日本みたいになりたいの?

電通社員の過労死、自殺者の増加、社会人のうつ病患者の増加問題等、日本社会にも多くの問題がある。それなのに、途上国の人は日本社会みたいになりたいの?

答えはイエスである。

戦後の日本だってGHQの支配下にあった当時、アメリカ軍人の豊かな生活を見て、強いあこがれを抱いており、その憧れが現在でも残っているほど強烈なものであったといえる。

途上国から見る日本人は、最新の携帯電話を持っていて快適な車に乗っており、冷房の効いたレストランでデートするという、まさに途上国の人からしたら憧れの国であるのである。

 

 

日本の戦後復興と開発援助アプローチ

日本を見習えば、アフリカも発展できるのか?

2009年版のODA白書によれば、「第二次大戦後、日本は、米国や世界銀行からの支援を受けつつ、自らの努力により経済復興と安定に取り組んできた。」と記されている。

だから、アジア、アフリカ諸国も日本の経験から学び、僕らのように発展しなさい、という文脈に読み取れる。ここで、この表題に関してさらに掘り下げて考えてみたい。

 

日本が戦後発展したのは事実

たしかに、現在の日本の経済状況を考えると、日本の経済発展の歴史は正しかったのか?これまでの、日本の政策を否定し消費至上主義(消費が増えることで経済が循環していく一方、環境負荷やその他多くの社会問題を生み出している)に対して是非を問うのは、今回の主題ではない。それは、またの機会に。

 

日本は1953年から1967年の間に世界銀行から30件以上の融資を受け、東海道新幹線や東名高速道路、黒部第四ダムなどのインフラストラクチャーを建設し、公共投資の増加により経済効率化および経済循環を加速させ、急速に発展していった。また、債務を受け入れたことで、返済するために懸命に働いたことにより1990年には世銀へすべての債務の返済を終えている。

 

アジア、アフリカの低迷はインフラが未整備であることが大きな要因であるから、戦後日本が発展したようにインフラ投資により経済発展に寄与すべきだという政策のもと、途上国への資金援助が1980年から90年の間に積極的に行われてきた。1980年代後半には世界一の援助国となっている。1988年の日本のODAの約半分が経済インフラ整備のプロジェクトであり、特に交通と通信分野に費やされていた。他国の援助のインフラ整備への投資割合が全体の2割程度であったことからも、日本がインフラ投資に積極的になっていたことがわかる。

 

戦後復興を推し進めた発展の背景

戦後の日本と現在のアフリカ、アジアの発展途上国を比べて大きく異なる点がいくつかある。明治時代(19世紀後半)から日本は欧米に追いつくために、国内の整備を行い、戦後も世銀から資金を得るなどして、自助努力により経済復興を成し遂げてきた背景がある。第二次大戦後はインフラも壊滅的なダメージを受け、まさに「ゼロからのスタート」であり、アフリカの現状と同じような環境にあったと受け取ることもできそうだ。

果てしてそうなのだろうか?

第二次大戦前に日本はすでに国際舞台において大国の一つに数えられ、欧米列強に追いつけ、追い越せという状態であり、当時の識字率は国際レベルでも高っかった。

一方、欧米列強に植民地支配されていたアジア、アフリカ諸国は天然資源や農業により経済を支えており、工業化とは程遠い状態から独立を果たしたため、政治的・経済的な基盤はほとんどなかった状態であった国が多い。また、独裁政権や軍事政権など、政治的基盤も整備されていなかった。

 

主権の二重構造

すこし、込み入った話になるので難しいと感じた人は読み飛ばしていただいて構わないが、そもそも国際社会における「主権」に統一の定義はない点の説明を加える必要がある。

欧米列強や日本は「正主権国家」(full sovereign state)または「積極的主権」と呼ばれる一方、1960年代の脱植民地化により独立を果たしたアジア・アフリカ諸国は、独立とともに自動的に主権国家を確立したことなり、これを「消極的主権」と呼び、「準主権国家」と呼ぶ。

どちらも、表向きは同様の「主権国家」であるが、欧米列強が鉄筋コンクリートで作った家だとすれば、準主権国家はレンガ造りの家である。同じ「家」であることに変わりはない。当然、その中身の法整備や組織づくり等まで作りこまれた家具付きの鉄筋コンクリートの家とレンガ造りで中身は空っぽの家だと、すれば理解しやすいのではないだろうか。

 

では、日本はどのように主権を獲得していったのだろうか?1868年に鎖国政策に終止符を打った日本は、明治政府のもとで主権国家として欧米諸国に認められることを対外政策の最大の目標として努力し、国民を統一し、憲法や法律の制定によって司法国家としての基盤の制定、中央主権システムを整備し、国民に対してのみならず対外的にも責任を負う政府を作り上げてきた。20世紀の初めまでに徳川時代の不平等条約の撤廃を実現し、国際政治上対等な主権国家として認証され、晴れて国際社会のメンバーとなった。この主権獲得のために、治外法権や関税自主権の撤廃など、主権承認まで多大の努力を払い、開国以来30年の年月を要したのである。

 

それでも、アフリカ・アジアは戦後の日本を見習えば成長するのか?

ここまで読んでいただければ、日本が戦後復興をインフラ投資を強化したことで発展してきたので、アフリカ・アジアのみなさん、日本のようにインフラを強化して一生懸命働いたら発展できますよ、という話にならないのは明らかである。日本の戦後の焼け野原をイメージするとまさにゼロから作り上げられたような感覚に陥ってしまうが、その背景を考えると”同じ状況”と言えないことは誰にでもわかる。

私もアフリカの友人と話していて、日本人は寝る間も惜しんで働いてきたが、アフリカ人は怠けているから発展しない。日本で3日でできることがここでは3か月かかると、怒りをぶちまけたことがある。その時に言われたのは、日本は第二次世界大戦をするために戦闘機を作るだけの産業があったが、アフリカにはない。今でも、戦闘機を作る技術力はないといわれた。そう考えると、今のアフリカの産業レベルというのは当時の日本以下である国もまだまだ多く存在している。

一方、携帯電話の普及など、新たな技術革新が急速に行われている昨今、今一度開発途上国の援助について向き合う必要があるのではないだろうか。

 

本音で生きる -一秒も後悔しない強い生き方ー

要点としては、

とにかくみんなやらない言い訳ばかり。

言い訳が多い人は、本当にやりたいことがあるのではなく、やれない自分を正当化しているだけである。

  1. お金がない
  2. 時間がない
  3. 才能がない
  4. やり方が分からない

お金がない

いったいいくらお金があったらやりたいことでいるの?

100万、1千万、一億?この質問にすら、みんな応えられない。

時間がない

 時間は万人に平等に与えられている。

成功者だけ、余分に時間を与えられているだけではない。

才能がない

やってもないのに、どうして才能がないと言えるのか?

イチローだって、ドラフト4位で入団している。もともと、天才だったわけではない。

大切なのは、まずやってみること。そして、それを必ず成功させるために努力を続けることが大切。

やり方が分からない

 正しいやり方なんて、もともとない。

ノウハウだったら、インターネットを検索すればどれだけども出てくる。

ビジネスで成功するためには思いつく限りのことを次々をやってみるしかない。

そのなかで、うまく行くものだけを残していく、「トライ&エラー」をどれだけ続けていくことが出来るかが大切である。

 

まず、やってみる

この本の中で、著者が繰り返し言っていることは、とにかく初めてみることが大切。

今の時代、アイデアとアイデアを繋げれば、ビジネスの可能性は無限大。

あとは、そのアイデアを実行してみるかどうかだけ。

 

これは、ホリエモン以外にも多くの起業家が同じことを言っているので、ビジネスの真理であると言える。

実際、成功哲学なるものが巷には溢れているが、それを読んだ人みなが成功しているかと言えばノーである。

つまり、一番大切なのは、

実際に行動を起こすこと。

これが、簡単そうでいて難しい。

僕が思う ”いわゆる” 成功する人成功しない人の大きな違いは2つ

  1. 思考能力があるか
  2. 行動力があるか

これに尽きるのではないかと思う。

 

この2つ。言われてみると簡単そうだが、実際毎日意識してやってみると難しい。

みなさんも、振り返ってみてほしい。

日々、どれだけ思考することなく、惰性で生きているか?ということを。

テレビを見るなんて、まさにその代表格だと思う。

ひたすら受け身で情報をえているだけで、そこに自分の思考する時間は一切含まれていない。

 

自分自身もいつかはブログをはじめようと思っていたが、忙しいことを言い訳に始めることが出来ないでいた。

優先順位など必要ない

 

著者の本の中で、やりたいことがあったら今すぐやるべきといっている。

優先順位などつける必要はなく、リストの上から片っ端からやって行く。そうすると、自然と大切なことに対する優先順位が付いてくる。

忙しかったら、言い訳を考える前に、目の前の仕事を取組む必要があるから、常に忙しくいることが大切だという。

 

著者の意見に、すべて納得できるわけではないが、得るものが多い本だったように思う。

内容自体、特に目新しい内容ではないが、著者独特の歯切れのいい文体から、一歩を踏み出すための勇気を得ることが出来ると思うので、興味ある人はぜひ読んでほしい。